ご挨拶
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●小笠原賢二の初挑戦


小笠原賢二は、平成19年4月22日執行の岡山市議会議員選挙に、しがらみだらけの岡山の政治の舞台を本当の市民の声が直接届く政治の舞台に変えるべく、しがらみの無い若くクリーンな力を訴え、同選挙史上最年少の27歳で初出馬しましたが、合併の影響と候補者乱立となり大激戦。

現職をはじめ有力新人の組織選挙が展開され、私小笠原賢二は、組織に全く頼らない友人を中心とした手作り選挙で精一杯戦いましたが、948票を頂くも力及ばず惨敗いたしました。

やはりこの岡山ではまだまだ組織選挙が根付いていること、そしてなりよりも私自身の力不足、努力不足、信頼度不足、勉強不足を実感させられた選挙でした。


●19年4月の岡山市議選とは?

私も出馬したこの平成19年の岡山市議会議員選挙。
合併後初の選挙とあり、定数52名に67名が立候補する大激戦。
投票率は過去最低の45.4%。当日の雨天も大きく響きました。

正直、大きな争点が見出せない選挙となりましたが、やはり関心ごとといえば政令指定都市への昇格。
この昇格の可能性を控えて多くの市民は、「これまで通り地元選出の現職議員に頑張ってもらって、地元に利益をもたらしてもらわないと」との判断からか現職議員が大健闘。

更に平均年齢は15年選挙時の53.4歳から0.7歳も上がり54.1歳にUP!
30代の議員も増えましたが、やはり議員の世代交代があまり実現しなかったことを物語っています。

しかし政令指定都市への昇格の可能性を控え、今までどおり地元や組織の利益代表者として「だけ」行動し、地元にいわゆる「箱物」をどんどん持ってくる、応援してくれている組織に便宜を図る、そういった利益誘導型政治のままで本当にこの岡山は大丈夫なのでしょうか?


●だからこそ、小笠原賢二は政治家を目指さなければならない!

これまでの政治家は「地元の利益になる」だとか、更には「自分の利益になる」「票になる」といった見方で政策を選び、そして目に見える成果を残したいと「建物」ばかり建てる、利益誘導政治に邁進しています。
確かに地元を思うことは何も悪いことではありませんが、単純に地元への利益誘導のみに邁進し、他の地域のことは知りません、というような利益の誘導以外は何もしない議員では困ります。

そして票を獲得したいがために組織の応援を受け、その組織のための政策ばかりに力を入れ、私たち一般市民の願いなど一行に聞き入れられる気配が無い。

一向によくならない、目が向けられる気配の無い、福祉、教育。

政治はごく普通の一般市民には関係の無い世界。そんな状況、もうやめにしませんか?

この岡山市は現在、7000億円もの借金を抱え、財政は火の車。

一方、政令指定都市になれば、岡山県が持っているほとんどの許認可権限が岡山市に移譲され、更に新たな財源も増えます。

その政令指定都市に昇格して、権限と財源が増えたことを良いことに、今までどおり、いえそれ以上に利益誘導政治で建物や公共事業に多くの予算を投じていては、借金は膨らむばかり。

政治とは地元に何か建物や利益を持ってくるためにあるものではない。
私たちが昨日より今日、今日より明日、よりよい生活を送っていけるよう、新しい「システム」を作るためにあるのが政治だと私は思っています。

今こそ政治を私たち普通の市民の手に取り戻さなければいけません!

私達に一番身近な政治の舞台は、私達の住むこの岡山市の政治の舞台である岡山市議会です。

この岡山市の政治を今、私たちの手に取り戻さなければ、政令指定都市になり、そして10年、20年、30年後。
この岡山はいったいどうなるでしょう?

小笠原賢二は、ごく普通の若者。
しっかりと普通の市民としての感覚で物事を考え、そしてしっかりと普通の市民の皆様の声に耳をかたむけ、吸収する。
そして20代のわかものですから、20年、30年経ってもまだまだこの岡山市で生活している市民。
だからこそしっかりとした目線でこの岡山市の将来を見据えて行くことが出来ます。

今ならまだ間に合います。是非、この若者とともに、現在の政治の世界に「若く」「しがらみ」の無い「クリーンな力」を吹き込み、政治に『新旋風!』を巻き起こそうじゃありませんか!
小笠原賢二は、平成19年の選挙での苦杯を経験し、更にその若者としての使命感を新たに、再起動することを決意いたしました!

クリーンな力でなければ何も変わらない。
若者が動けば、そして市民の皆様が動けば、この岡山は変わります。
さあ変えていこう、おかやま!

どうか引き続き、この小笠原賢二の行動に、これからもご期待、ご声援をお願いいたします!!


                                        平成19年5月   小笠原賢二

小笠原賢二の信念。小笠原賢二はこんな政治家を目指します!

●小笠原賢二の尊敬する人、杉原千畝

 さて私の尊敬する人として、プロフィールの欄に「杉原千畝」と書いています。
この杉原千畝氏はご存知の方も多くいらっしゃるかもしれませんが、第二次世界大戦当時の日本の外交官です。
ちなみに千畝は「ちうね」と読みます。

 杉原氏は昭和14年、駐リトアニア日本領事館領事代理としてリトアニアのカウナス市に赴任されました。
杉原氏は、ナチスドイツのホロコーストから逃れリトアニアにやってきた、6千人といわれるユダヤ人に対し、自らの判断で日本通過のビザを発給し、多くのユダヤ人を救った人物です。

杉原氏はユダヤ人への通過ビザ発行の許可を外務省に打電しました。
当時、日本は人種差別撤廃条約を国際連盟に提案するなど、人種差別撤廃を訴えており、政府はユダヤ人も同様に差別しないという方針を採ってはいましたが、日独伊防共協定から三国同盟への発展へ向け進行中の対独政策で、ドイツへの刺激となる杉原氏の行為に対し、外務省はビザの発給を認めませんでした。

しかし杉原氏は、外務省の命令を破り、6千人のユダヤ人に通過ビザを発行し、ユダヤ人たちは旧ソ連をシベリア鉄道で通過し満州国や在満州の日本軍の暗黙の保護待遇もあり、無事日本へ到着。
また当時の松岡外相が個人的に発した暗黙の指示とそれを受けた日本各所の警察の暗黙の対処、そして各地の日本人の手厚い歓迎により、アメリカや中立の第3国への亡命を果たし、後にイスラエル建国を果たしますが、この建国の中心的人物も日本経由のユダヤ人たちから多数排出しています。

彼等、ユダヤ人の間では杉原千畝氏は「センポ」と呼ばれ、現在でも広く知られている存在です。千畝(ちうね)という発音がユダヤ人達には発音しにくく、周辺の人もあだ名として呼んでいた「センポ」を用いたとのことです。

 私は、杉原氏のような精神を持った政治家を目指しています。

しかし、「杉原氏は外交官であって、政治家ではないので、ちょっと違うんじゃないの?」と思われる方もあると思います。
 私がなぜ杉原氏を尊敬しているかといいますと、自分が正しいと思ったこと、正義だと思ったことは、例えその時の状況下や自分が所属する集団などでの体制下では、必ずしも正しい、正義である、良策だとは言い切れなくとも、信念を曲げず、例え自分の身が犠牲となっても、やり通すという精神に感動し、そして尊敬しております。

まさしく杉原氏の行動は、公の理念・精神からユダヤ人の置かれた立場・状況と自己の立場・保身、さらには命を天秤にかけ、ユダヤ人救出の使命の方が重いと判断しての決死の行動であり、この精神は政治家にも共通するものだと思います。

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